柳屋クリーニング店の店主になるまで…

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 “柳屋クリーニング店 店主 原 佳孝” です。

昭和54年生まれの現在40歳の自分ですが、2019年の2月までは全く違う仕事をしておりクリーニングの仕事自体がはじめてでした(;^_^A
そんな僕がなぜ創業100年の柳屋クリーニング店を3代目として継いだのか?
そこに至る経緯をつづります。

僕は磐田市福田町(旧磐田郡福田町)に生まれ幼稚園年少まで過ごしていました。
父が袋井市浅名(旧磐田郡浅羽町浅名)に土地を伯父から買い、現在の実家がある所に引っ越しをしたのが幼稚園年少になります。
転居後は浅羽北幼稚園(現在は浅羽防災センター)、浅羽北小、浅羽中学、袋井高校、1浪して19歳で千葉敬愛大学と進みました。
その後、千葉で就職し、千葉には2014年5月までいました。
前職は全国にセンターがあり、静岡にもセンターがありました。
2014年、静岡のセンターにかなりの人手が必要であった為、地元である静岡に異動しました。

2014年6月から静岡市、藤枝市で前職の仕事をしていました。
千葉、静岡と合わせて10年間前職についていたわけですが、実は退職する前の役職がそのセンターのナンバー2(所長代理)だったんです…。
そんな僕がこのクリーニングの仕事に就いた転機となるキッカケが2018年6月頃起きました。
何気なく実家に帰ってきていた僕は、父親から話しがあると言われ、父親と従兄弟、親戚のおばさんを交えて話しをしました。
その話しの中で、現在、個人事業で行っている柳屋クリーニング店を将来会社にして残していきたいからやってほしいと言われました…。
先代の伯父さんには娘さんがいます。
しかし、娘さんの旦那さんがアメリカ人で、その旦那さんの家庭の事情があり、伯父さんの娘さんは旦那さんとお子さんと一緒にアメリカに行ってしまったんです。
先代の伯父さんが誰か柳屋クリーニング店をやってくれる人はいないか?と従兄弟に相談しにきた為、身内である自分に話しが来たというわけです。
この話しを聞いた時は頭が真っ白…。従兄弟には「どうするかは自分の判断で決めろ」と言われました。
当時、僕は前職でさらに上の職位を目指して頑張っている最中でしたし、年齢も40歳になるほんの少し前…、10年間勤めた会社を辞めて一からとなると…、と色々考えました。

最終的に自分がクリーニングをやろう!と決断に至った理由は

「じいちゃん、ばあちゃんが始めた柳屋クリーニング店を残していってあげたい!」 これが気持ちとしては一番強かったです!

「柳屋クリーニング店を利用して下さっているお客様がいる!」

「身内である自分が続けていけるのであればそれが一番いいはず!」

この3つです。

そんなわけで2019年2月に前職を退職。
袋井にアパートを借り1人暮らしを始めました。
そして、2019年2月後半よりクリーニングの仕事を始め、今、1年4か月が経ちました….。
その中で、先代の伯父からお金の管理等やらさせていただき、経営にも携わるようになって2020年1月、柳屋クリーニング店3代目店主としてお店を引き継ぎました!

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